暮らしのこと。何気ない日常の幸せを描く。

2018年9月4日書くということ

唐突だけれど、さえりさんが書く文章が好きだ。

さえりさん(@N908Sa)さん | Twitter

正確には、彼女が描き出す日常の世界観がすごく好きだ。

有名なメディア会社「株式会社LIG」で一気にツイッター、Web界隈の有名人となった彼女は、今はフリーのライターとしてあらゆるメディアに引っ張りだこだ。

有名になったきっかけは、彼女が紡ぐ「妄想ツイート」というものだと思うけれど、正直いって、僕はそれ以前から彼女のファンでした。(言ってみたかっただけ。でも、本当です)

妄想ツイートも、自分らしく生きるもいいけれど、僕が好きなところでいうと、ものすごく繊細で、すごくまっすぐな視点で物事を見ている。彼女独自の視点で切り取った日常が、すごく丁寧に描かれていて、文体というよりはその世界観に惹かれているのだと思う。

たとえば、昨日、立て続けにさえりさんの投稿が流れてきた。

別に僕はさえりさんの回し者でもなんでもないけれど、読んでいてすっと入ってくる言葉が好きで、僕のブログを読んでくれる方は彼女の文章が好きそうだなと思ったので、こうしてブログに書いている。

まあ、本当は僕が書きたいだけだけれど。

一つ目には流れてきた文章はこちらの記事。

mycarat.jp

読んでいる途中に、最近、僕の友人と話をしたことがよぎって、この記事をその人へと送った。

別にその人が浮気についてどうこう話をしていたわけではないのだけれど、なんとなく、人生において本当に大事なものを考えるというようなことを言っていたなと思ったから。

そして、もう一つの記事がこちら。

僕はこの記事がすごく好きだ。多分、これから何度も読み返すことになると思う。 

note.mu

彼女がこうして「日記」を綴ってくれたことに感謝したいほど。

「なぜ、この記事がいいのか?」と聞かれたとしたら、特にこれと言った理由を答えるのは難しいけれど、 なんとなく、いい。そういうものもの必要だと思う。

僕はこの日常の素敵さを共有したい人に向けて、やっぱりこの記事を送った。

なんだろう。一般的にメディアというのは「読んだ人に、何かしらのいいものを与える」ことを目的として書かれていることが多い。

要は、読み手を意識して書かれている記事がほとんどだということである。

けれども、このブログは(そしてさえりさんが書くものの中には)そういうものとはどこか切り離されて、自分自身と向き合って、日常を考えて、等身大に言葉を綴っているように見えるから、惹かれるのだと思う。

自分の周りのことを書くということは、ともすれば自己満足であるし、誰にも読まれずに埋もれる記事もたくさんあると思う。

日記というのは元来そういうものである一方で、その記事やメディアの持つ「他者性」と「自己性」(日記のようなもの)の両方を兼ね備えているというのは、結構難しいものであるような気もする。

(もちろんメディアという時点で、どこかに他者性を意識したものであることには変わりはない訳ですが。)

この記事を読んで思ったことは、僕自身がやっぱり書くことが好きだということ。

そして、ブログという形以外に、クローズドの場で自意識の言葉を書き綴る場も必要なのだということも感じた。

書くということを生業としている人たちが今、noteという場所に文章を書き綴るのは、そういう意味が大きいような気がする。僕もやろうかな、note。

***

以前、僕の初恋のことを書いた。

初恋といっても、中学時代に読んだ小説の中に出てくる話なんだけれど、僕の好きな村山由佳さんという作家が描く小説が好きで好きでたまらなかった。

yuto.hatenadiary.jp

僕はこういう、日常の中にある小さな幸せを感じ、それを言葉にできる人が好きなのだと思う。

上のさえりさんの日記もそうなのだけれど、こういう日常を見ると、誰かと一緒に暮らすことも素敵だなあと思えてくる。

今までは全くそんなことを思ったことも考えたこともなかったのに。

また、村山由佳さんの小説が読みたくなった。実家の本棚にはたくさんある。一人暮らしのこの部屋には、なぜだか持って来なかったなあ。